旅行安全、交通安全、神前結婚式、粟田神社

御由緒

スサノオノミコト・オオナムチノミコトを主祭神として祀り、厄除け・病除けの神と崇敬される。京都の東の出入口である粟田口に鎮座する為、古来東山道・東海道を行き来する人々は旅の安全を願い、また道中の無事を感謝して当社にお参りされ、いつしか旅立ち守護・旅行安全の神として知られるようになる。
祭には神輿に先行して剣鉾が巡行する。剣鉾は祇園祭の山鉾の原形と云われており、 室町時代には祇園会が行われない際は粟田祭をもって御霊会としたと伝えられる。
一説には奈良朝より活躍した粟田氏の氏神として創建された社とも云う。

御祭神

中央

建速素盞嗚尊
(たけはやすさのおのみこと)
(牛頭天王『ごずてんのう』)
大己貴命
(おおなむちのみこと)

左座

八大王子命
(はちだいおうじのみこと)
(八嶋士奴美神・五十猛神・大屋彦神・大屋媛神・抓津媛神・須勢理媛神・大歳神・宇迦之御魂神)

右座

奇稲田比賣命
(くしいなだひめのみこと)
神大市比賣命
(かむおおいちひめのみこと)
佐須良比賣命
(さすらひめのみこと)

右座外殿合祀

竹生嶋社・猿田彦社・度会社・天御中主神・加茂社・日吉社・和歌三神・手力雄社・崇徳天皇

御神徳

旅行守護・厄除・病魔退散・縁結び・安産・経営守護

粟田神社は古より東山道・東海道に面して建ち、この辺りは粟田口とよばれ京都と各地を結ぶ主要な出入り口でした。ここを最後に都を離れるという気持ちからか、人々は旅の安全を祈り、また無事に都へ戻れたことを感謝して当社にお参りされました。そしていつしか旅の神様として世に知られることとなりました。

創建由緒

平安時代 清和天皇貞観十八(876)年春に神祇官並びに陰陽寮より「この年隣境に兵災ありて、秋には疫病多いに民を悩ます」と天皇に奏上されました。そこで直ちに勅が発せられ、全国の諸神に御供えをして国家と民の安全を祈願されました。その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(今の八坂神社)に七日七晩丹精を込めて祈願されました。その満願の夜、興世の枕元に一人の老翁が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり。」と告げられました。興世が「このように云われる神は、如何なる神ですか?」と尋ねられると、老翁は「我は大己貴神なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王(ゴズテンノウ=スサノオノミコト)に縁ある地である。其処に我を祀れ。」と言われて消えられました。興世は夢とは思わず神意なりと朝廷に奏上し、勅命により直ちに此の地に社を建てて御神霊をお祀りしました。
 
また一説には、孝昭天皇の分かれである粟田氏が此の地を治めていた時に氏神として当社を創建したとも云われています。
旧社名は、感神院新宮(カンジンインシングウ)、粟田天王宮と称されていましたが、明治になり粟田神社と改称されました。
当社の石段下の道は旧東海道・東山道であり、この辺りは京の七口(京都の七つの出入口)の一つである粟田口であり、京都を行き来する旅人は旅の安全を祈り感謝し、このお社に参拝されました。何時しか当社は旅立ち守護の神として崇敬を集めております。

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粟田神社
京都市東山区粟田口鍛冶町1
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粟田神社
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