拝殿は平成21年8月お屋根替え、美しい姿がよみがえりました
境内からは叡山より愛宕山まで北山を望めます。ガイドブックには五山の送り火が全て見えると書いてある物もあるそうですが、そうでもありません。五山の送り火の際には船形、左大文字は正面にご覧いただけます。妙法の妙の字は京都大学の新校舎でほとんど見えなくなりました。右の大文字は元から半分くらいしか見えません。鳥居は探せば見えるかもしれません。
当社を最も彩るのは秋。御本殿前の楓を始めとして参道脇の木々が色付きはじめ、紅葉のアーチを創り出します。階段下から見上げると、それはもう素晴らしい景色です。また一年に数回は雪化粧の日も。一面真っ白の神秘的な世界が広がります。
御創建年代は不詳ですが、江戸時代の絵図には稲荷社が載せられており、古くから粟田神社境内に鎮座されていたと思われます。御祭神は雪丸稲荷他三座で、雪丸稲荷は三条小鍛冶宗近(平安末期の名刀匠)が一条院の勅命により剣を打つ際に相槌を打ったお稲荷さんと云われています。宗近は御百稲荷(現在は都ホテル内にあり、昔はここを稲荷山といった)に詣でて祈り、その稲荷の神霊に相槌を打って頂いて剣を打ち上げたそうです。打ち上げた剣の表には小鍛冶宗近、裏に小狐と銘を打ったと云われています。
創建年代は不詳ですが、もとは三条蹴上の夷谷に奉祀されていました。源九郎義経が牛若丸の幼少時代に奥州下向の時、源家再興の祈願をされた恵美須神であり、出世又は門出恵美須と称されました。500年以上前に蹴上の山崩れがあり、土砂と共に流出した際に止まったところが現在の三条神宮道付近であり、夷町といいます。永く夷町、金蔵寺に奉斎されていましたが、明治に粟田神社摂社として遷し、出世恵美須神社として崇敬されています。御神像は伝教大師の作と云われ、釣り上げた鯛を前にもち、大きく口を開けてお笑いになっているお姿で、日本最古の寄木造りの恵美須神像と云われています。平成9年解体修復され、平成10年の十日えびすにて修復奉告祭が執り行なわれました。家運隆盛、商売繁盛の恵美須様です。
大神宮は元々、青蓮院の坊官である鳥居小路家の旧宅地の鎮護神でしたが、勧請された時期は不明です。鳥居小路家の先祖は高階師尚と云い、師尚の母が伊勢の斎宮であったときに在原業平と密通してできた子供でした。この為お伊勢さんのお怒りに触れてその子孫が伊勢に参宮しようとしても、途中で病気になったり、災難にあったりして参宮することができませんでした。そこで大神宮を宅地内に奉斎して参詣するようになったとのことです。その後、明治になって当社の境内に遷座されました。現在は八幡神と春日神が両脇に配されています。
粟田口の刀工、三条小鍛冶宗近・粟田口藤四郎吉光と、作金者(かなだくみ)の祖である天目一箇神を祀る鍛冶の神様。
多賀大社の御分霊を祀る、縁結び・長寿の神様。
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