粟田祭(粟田神社大祭)
10月に行われる当社最大の祭礼行事です。体育の日前々日の「出御祭(おいでまつり)」体育の日前日の「夜渡り神事」、体育の日の「神幸祭(しんこうさい)」「還幸祭(かんこうさい)」、そして15日の「例大祭(れいたいさい)」までの神事・行事を総称して粟田祭(粟田神社大祭)と呼んでいます。この粟田祭は一千年の歴史を持ち、室町時代には祇園祭が齋行できなかった時には、当社の祭りを以て代わりとしたと云われています。
粟田祭のはじまりは、長保3年(1001)の旧暦9月9日の夜、一人の神童が祇園社に現れて神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と告げられました。7日後の9月15日にお告げのとおり瑞光が現れたため御神幸が為されました。その瑞光が現れた場所が当社であり、これが粟田祭の始まりとされています。
夜渡り神事
体育の日前夜には「夜渡り神事」「れいけん」が執り行なわれます。約400年前の旧暦9月14日の夜、おおきな石の上に瓜が覆っており、そこに御金札(金のおふだ)があって光り輝いていた。その金札には「感神院新宮(粟田神社の旧社名)」と銘があったため神の御降臨であると金札は神社に納められ、金札の現れた石は「瓜生石(うりゅうせき)」と名付けられました。
この故事により毎年、御神宝の阿古陀鉾と地蔵鉾が「夜渡り神事」とよばれる行列を為し、金札の現れた瓜生石の周りを三度巡拝する「れいけん」の神事を執り行います。「れいけん」とはおそらく「霊験」ことであり、粟田の大神様が御降臨されたことを畏れ敬い感謝を表す祭りです。「れいけん」の後氏子町内を巡ります。
平成20年よりは古く行われていた風流灯籠(ふうりゅうどうろう)を復興し、「粟田大燈呂(あわただいとうろ)」として行列に加わり、多くの人々より驚嘆のお声をいただいております。
粟田大燈呂
平成20年の夜渡り神事に「粟田大燈呂」が復興いたしました。この大燈呂とは文字通り大きな灯篭の山車のこと。その昔、戦国の世に公卿の山科言継卿が書き留めた日記にもそのことが綴られています。『言継卿記』永禄十年(1567年)七月二十四日条 「粟田口の風流が吉田へ罷り向かうということを聞きましたので、夕方に吉田へ罷り向かいました。大きな灯呂が二十あり、その大きさはおよそ二間(3.6メートル)四方もあり、前代未聞のことで大変驚いた。」(口語訳 神社)
また、青蓮院の文書である『華頂要略』には夜渡り神事のことを記して「年毎の祭礼に 〜中略〜 供奉に氏人灯篭をともして、神輿に先行すること数百。さまざまの造り物ありて衆人の目を驚かすにより、貴賎群集することおびただし。誠に一大壮観なり。」とあります。
この灯篭の出し物がどのようなものであったかは絵図が残ってはいないため詳細には分かりませんが、京都造形芸術大学のご協力もあり、時代に則した形で復興することとなりました。かつてお公卿さんや町衆を驚かせた大燈呂が再びこの平成の代の人々を魅了し、素晴らしいものとなりますように願っております。
神幸祭
神幸祭とは神様が氏子区域を巡行され、氏子にお力をお与えになる神事です。当社では旧九月十五日が神幸祭の日でしたが、現在では十月「体育の日」に行われています。神幸祭には、剣鉾が鉾差しによって五〜六基差され、神輿が氏子町内を渡御しています。
昭和三十四年迄は剣鉾も十基ほど出ておりましたが、一時期の居祭りの後に剣鉾が差されることが途絶え、その後昭和五十年代から鉾差しが復活されました。平成八年には「粟田神社剣鉾奉賛会」が結成され、氏子の手でも剣鉾が差される様になりました。
剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、悪霊を鎮める祭具です。剣先は真鍮の鋼で造られ、額には御神号や神社名・年号などが記されています。当社の場合「南無天王八大王子」「感神院新宮」「粟田社」等、更には梵字なども書かれています。
剣鉾は剣差しと呼ばれる人によって重さ40~60kg、長さ7~8メートルのものが1人で指されます。剣差しは腰に差し袋という棹受けを付け、独特の歩行法で剣先をしならせ、その揺れで鈴が棹に当たり涼やかな音色をたてます。
当社の氏子区域には現在18基計44本の剣鉾があり、京都で最も多くの剣鉾が備えられています。剣鉾は講中(鉾仲間)又は町中(鉾町)で守護されており、現在もその形式は変らなく守られています。しかし現在では当家の事や人手のことなどでお飾りできない剣鉾もあります。
神輿巡行
神輿も昭和三十四年を最後に居祭りが続きましたが、平成十二年の「粟田祭巡行壱千年祭」に復興され、翌年には「粟田神社神輿会」が発足し、年々盛大な祭りとなってきております。
当社の現在の神輿は江戸時代の末期の文久二年(一八六二年)に新調された京神輿です。台輪(台座)寸法は四尺七寸(一四一センチ)、重量は一千二百キロと云われ、京都市内でも大きな部類に入る神輿です。擬宝珠を乗せた四角の御厨子で、瓔珞も重厚で気品がある姿をしています。
「体育の日」の神幸祭では二百数十名の舁き手により氏子町内を渡御し、青蓮院の四脚門から入御します。青蓮院では宮司が当社の本地仏(本地垂迹説による神様の本来のお姿である仏様)であり、明治まで神社でお祀りされていた薬師如来に献幣し、青蓮院御門主様が御加持をお授け下さいます。
例大祭
当社の本来の祭礼日であり、毎年10月15日午前11時から執行します。例大祭には当社本宮の八坂神社から幣帛(お供え)供進のため神職がお越しになります。また、近隣の社寺よりもご来賓を招き、本殿にて祭典が行われます。その中で、神様にお楽しみいただくために舞楽の奉納があります。